![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]()

親鸞聖人八十三歳、信念がにじむ筆跡。
自分の心は善いのだから、往生することができるなどとは、思ってはなりません。
自分のはからいによっては、真実の浄土へ生まれることはできないのです。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞書状(建長七年十月三日 かさまの念仏者云々)
紙本墨書 天地279mm×左右2524mm
笠間の念仏者たちが念仏往生の教えについて尋ねた疑問に答え、親鸞がその信念を書き送られたもの。
笠間は、現在の水戸市の西方に位置し、親鸞が草庵を結んだ稲田をふくむ一帯。
![]()

直弟子のひとり、覚信(かくしん)への返事。
信を離れた行はなく、行の一念を離れた信の一念もない。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞聖人自筆書状(覚信御房あて御返事)
紙本墨書 天地295mm×左右1245mm
覚信房からの質問の書簡に対して答えられたもので、親鸞八十四歳(建長八年)の五月二十八日に書かれている。
この日は、親鸞が息子である善鸞に対して義絶状を書き送る日の前日にあたり、親鸞の心中は悲しみに打ちひしがれかねない状況だったろうと察せられるが、この手紙ではそれをおくびにも出さず、冷静に覚信房の問いに答えている。
![]()

門弟の書簡に加筆した貴重な手紙。
このほかのことについては、少しばかり文字を直して差し上げました。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞聖人自筆書状 (慶信上書聖人加筆御返事)
紙本墨書 天地285mm×左右1745mm
門弟の慶信が、京都にいる親鸞のもとへ出した書簡。親鸞は文字を訂正したり、削除あるいは補足している。
さらに礼紙に記されていた慶信の追伸文に対し、その余白に返答を書くなどの加筆をして、慶信の許へ送り返した。
![]()

親鸞八十七歳、覚信の死を悼む。
覚信房(かくしんぼう)も去年先立たれましたが、きっと待っていてくれるでしょう。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞聖人自筆書状 (たかだの入道殿あて御返事)
紙本墨書 天地290mm×左右1293mm
高田入道が京都の親鸞に宛てた手紙の返事。この人物がだれかわかっていない。
入道ということから高田に住む高い地位にあった人であるようだ。
親鸞は「みな浄土でお会いできるでしょう」と「倶会一処(くえいっしょ)」の喜びをわかち合おうと呼びかけている。
![]()

最晩年、「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」を説く。
信心が定まるというのは、仏の摂取(おさめとって捨てないこと)にあずかるとき、ということです。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞聖人自筆書状 (しのぶの御房への御返事)
紙本墨書 天地280mm×左右773mm
摂取不捨についての質疑に対する返事。善導大師の『般舟讃』の中に、釈迦如来・阿弥陀仏が慈悲深い父母であって、いろいろの方便で無上の信心を衆生に開き起こさせて下さる、と書かれていることを紹介している。
![]()

手紙を回覧して、教えにふれる。
極楽浄土へ往生してから護ってくれるのでは、ありません。この世にいる間に護ってくださるというのです。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞聖人自筆書状 (浄信御房あて御返事/二月廿五日)
紙本墨書 天地275mm×左右1706mm
浄信は、華厳経の文や第十七願文に基づいて、信心を得た人はこの世から如来と等しい、とする親鸞の教えについて、詳しく説明していただきたい、と申し出ている。これに対して親鸞は、「如来の誓願は義なきを義とす」と法然上人の教えを述べて、往生に必要なものはそれだけであると要約した。
![]()

門弟たちが大切にした教えの書簡。
おたずねいただいた事は、たいへん結構です。自力の心で、自分は如来に等しいというのは、これは本当によろしくありません。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞聖人自筆書状 (浄信御房あて御返事/十月廿一日)
紙本墨書 天地277mm×左右773mm
承信御房と浄信御房との間で「如来と等し、弥勒に等し」について意見のくい違いがあり論争となった。
この手紙は、浄信御房の一連の報告と質問に対し親鸞が答えた返事。
![]()

親鸞の心遣いが感じられる珠玉の手紙。
この円仏房(えんぶつぼう)がそちらへくだって行きます。よしなにとりなしてやってください。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞聖人自筆書状(真佛御房宛)
紙本墨書 天地285mm×左右550mm
親鸞は、この頃火災に遭い、後始末にとりこんでいたらしい模様が全体の文字の乱れからもしのばれる。
それにも関わらず、怱忙の中でも門弟を優しく愛しんでいるところに、親鸞の人柄がよくにじみ出ている。
![]()

侍女を譲るきびしい経済状態。
後日なにか問題が起こったときにそなえ、この譲り文をしたためてさしあげます。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞書状類 (寛元元年十二月廿一日譲状/いや女の事)
紙本墨書 天地319mm×左右484mm
いや女は親鸞に仕え、末娘覚信尼の侍女だったとされている。
帰京後の親鸞一家の経済状態は豊かではなく、覚信尼も成長したので、いや女は親鸞のもとを去り、京都東山の大谷南地に住んでいた照阿弥陀仏に仕えた。のちに東女房に譲り渡されたことを親鸞が認証したもの。
![]()

親鸞、侍女の行く末を案じる。
彼女はいまだに勤め先がなくて、貧しい暮らしをしています。しかし、私にはどうしてやることもできません。
(内容抜粋/現代語訳))
親鸞書状類 (三月二十八日書状/わうこせん宛)
紙本墨書 天地284mm×左右389mm
手紙では、覚信尼を「わうこせん(=王御前)」と俗名で呼び、教義上の手紙と峻別する姿勢とともに、温かみのある文体に親鸞の心情がしのばれる。
![]()

娘へ。この手紙を常陸の人のもとへ。
この手紙をごらんくださった常陸の人びとは、心をあわせて対処してくださることでしょう。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞書状類 (十一月十一日書状/いまこせんのはゝ宛)
紙本墨書 天地300mm×左右430mm
親鸞が常陸の念仏者に自分が死んだあと、覚信尼たちの扶助を依頼したことを、「いまごぜんのはは(今御前の母=覚信尼)」に知らせたもの。手紙の内容や筆跡からして、親鸞が弘長二年十一月二十八日に示寂される直前にしたためられ、家族への最後の心づくしがありありと察せられる。
![]()

肉親を語ることのなかった親鸞の遺言状。
この手紙をごらんいただいた人は、どうか私の心をくみとってください。あなかしこ。あなかしこ。
(内容抜粋/現代語訳)
親鸞書状類 (十一月十二日書状/ひたち人々宛)
紙本墨書 天地295mm×左右911mm
末娘の覚信尼と即生房の援助を常陸の念仏者に懇願するもの。親鸞は、くりかえしくりかえし扶持を頼み、筆勢の衰えのなかにも忌憚ない憂慮があらわれている。最晩年の、いわば遺言状といってもよい手紙。
最後の願いのこもった筆跡には、苦難と壮絶の生涯がにじみ、心をうってやまない絶筆である。
※実際の商品とは若干色が異なる場合があります。














