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会員誌「国宝倶楽部」
三味線が語る情の世界
 
【略歴】
1928年(昭和3)
京都生まれ。
1942年(昭和18)
父の三代鶴澤寛治郎を師匠として、鶴沢寛子を名乗る。翌年、四ツ橋文楽座にて「艶容女舞衣・酒屋」の琴にて初舞台。
1944年(昭和19)
鶴澤寛弘と改名。大阪文楽会勉強賞受賞、因協会賞受賞、国立劇場奨励賞受賞
1994年(平成6)
第13回国立劇場文楽賞文楽優秀賞受賞。同年、「三味線格」になる(三味線弾きの最高格)。
1997年(平成9)
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。勲四等旭日小綬章受章
2001年(平成13)
七代鶴澤寛治を襲名。
 
文楽に入ったきっかけ

私の家は代々、三味線弾きではございません。祖父は京都で煙管屋をやっておりまして、素人ながら浄瑠璃にはまっておりました。それが高じて、息子である親父を三味線弾きにしたようです。親父である六世鶴澤寛治が、私の師匠です。

気持ちは音に出る

親父はよく私に「体で覚えろ」といったものです。強く、正しく、優しい気持ちを持っていれば、芸にもそれは出てくるが、卑しい気持ちを持っていれば、卑しい芸になるものだと教えられました。私は若い頃、よくパチンコに行きましたが、負けてお小遣いが足らないときに稽古に出ますと、親父に「おまえの三味線の音は、 銭くれ、銭くれというてるように聞こえる」といわれました。 内心で私は「そんなことがあるもんか」と思っておりましたが、今、若い人を教えておりますと、親父がいっていたように「音に出ている」ということがよくわかります。

親孝行が一番

では、親父がいったような優しい気持ち、素直な気持ち、清い気持ちを持つには、どうすればよいのかと申しますと、やはり「親孝行」をすることが一番手っ取り早いことだと、常々若い人にいっております。親孝行といっても、お金をかければよいのではなくて、とにかく「親に心配をかけない」ことで、充分に親孝行になると思います。そうした優しい気持ちを持てば、三味線の音も変わってくるものです。

左より、竹本津駒大夫、鶴澤寛治、鶴澤清馗、鶴澤寛太郎。国立文楽劇場での「本朝廿四孝」公演風景
(国立文楽劇場提供)

色と情を弾く

三味線弾きは「色」が弾けるようになって、一人前といえます。「色」とは、曲の中で登場人物がどういう気持ちで、どこにいて、どういう情景になっているのかといった模様のことです。そういう模様を自分の心で感じて弾けるようになれば、一人前です。 そして、浄瑠璃の「じょう」は「情」でもございまして、三味線弾きは「曲を弾く」のではなく「情」を弾くことが大事になります。 文楽には家元制度がありませんから、極端に申しますと、どのように弾こうと「情」が表現できていればそれでいいのです。

文楽には家元制度がない

どのように弾いてもかまわないと申しましても、もちろん弾く上での規則はあります。これを例えて申しますと、富士山を絵に描こうとすれば、墨絵のように描く人もいれば、大観の赤富士のように描く人もあるでしょう。それでいうと、私は師匠からベースである「富士山」は教えては頂きましたが、それを基本にして、どんな風に描くかは自分なりに考えて参りました。
どうすれば、「色」や「情」というものをうまく表現できるのかと稽古を積み重ねるわけです。 途中で「もう、やめたろうか」と思うこともありますし、舞台をやっておりましても、満足に弾けたといえる日はなかなかございません。もちろん、太夫という相手もあることですから、いくら自分の方が調子よくても、太夫とぴったり合わなければいけません。それだけに、うまく出来上がった時の嬉しさといったら、何物にも代えられないものがあります。

良いか悪いかを判断するお客様

そうして稽古を積み重ねて、自分ではよく弾けるようになったつもりでも、最終的にはお客様の評価しかありません。自分では自分の完成度は、わからないものです。そして三味線をしっかり聴く耳をもったお客様は、これはまたちゃんとおられるのです。 一人でもしっかりと聴いてくださるお客様がいれば、それでありがたいことです。形として見えるものを作っていれば、まだ分かりやすいかもしれませんが、私たち三味線は「無形」ですから、いくら自分でいいと思っていても、 お客様が「悪い」といえば、こちらはこちらで芸を磨くしかないのです。

若い方に期待すること

戦後、すたってきた文楽ですが、最近になって若い人が興味を持って入門してくれています。これだけでもありがたいことです。そんな若い人たちが、皆さんに喜んでもらえる浄瑠璃をしてくれるようになればと、期待しております。
三味線でも太夫でも、自分の息子に継がせようとしている人は多いものですが、無理に押し付けられた人は大体、途中で辞めています。
私には娘しかいないので、自分の代で絶えると覚悟していました。しかし、孫の寛太郎が、小学生の頃に「僕も三味線弾きたい」といい出したのです。孫とはいえ、私もそうとう厳しく稽古しておりますが、あくる日にはまた稽古に出てきますから、寛太郎も文楽が根っから好きなのでしょう。このまま素直に精進していってくれればと思っております。
(聞き手 冨田浩章)


大阪日本橋の国立文楽劇場外観