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1932年(昭和7)
四世尚古齋の長男として大阪に生まれる。
1965年(昭和40)
大阪三越で初個展。
1966年(昭和41)
日本伝統工芸展に初出品、初入選。
1968年(昭和43)
日本工芸会正会員認定。その後、日本工芸会近畿支部展鑑審査委員に就任。第23回日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞受賞。
1977年(昭和52)
五世尚古齋襲名。
1991年(平成3)
日本工芸会特待者認定。「日本煎茶工芸協会」常務理事に就任。
2002年(平成14)
第20回京都府文化賞功労賞を受賞。「竹芸の道」五十周年記念 五世早川尚古齋作品集を刊行。
2003年(平成15)
重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受ける。日本工芸会参与。翌年、アメリカのサンタフェで海外初の個展開催。コロラド州デンバー美術館で記念講演。
2005年(平成17)
旭日小綬章受章。京都市文化功労賞受賞。
日本ではすでに縄文時代の末期につくられ、奈良時代には仏教寺院で仏具として竹工芸品が使われた。 桃山、江戸時代になると茶道が盛んになり、花入れをはじめ竹工芸品が珍重されるようになり、江戸から明治にかけて煎茶の興隆期を迎える、その中心地である堺では、唐物を模した籠花入れや茶道具がつくられた。大阪の竹工芸は、茶の湯の発展の歴史と近代に至っての多くの文人・数寄者たちの活動によって大きな展開をみせた。
私が家業を継ごうと決意したのは、高校の卒業が間近になったときで、大学に行くことも考えましたが、
美術学校に行ったところで竹工芸専門のところはありません。
親父にも「家業を継ぐのであれば、自分で教養を磨くことができる。教養と学問は違う」といわれたことや、長男ですから代々続いてきた早川家に生まれた宿命かなとも思い、本格的な修業に入ることにしました。しかし、親父はなかなか竹の編み方を教えてくれません。3年ほどは材料をこなすだけが続きました。
竹を割って幅や厚みを決める作業です。当時は「竹割り10年」ともいわれていましたが、根気がなければできることではありません。
幸い私は旧制中学で野球をやっていて、基礎練習の大切さが身に染みていましたから、その経験が大いに役立ったと思います。
野球では基礎をしっかり身につけないと、スローイングでもバッティングでもしっかりとしたフォームはできませんし、自分勝手にやっていては、一時的にはいいかもしれませんが、けっして長続きしませんね。
こうして竹割りの反復練習を繰り返し、ようやく竹を編み始めましたが、親父の教え方は「見てわからないものは、聞いてもわからん。
潰してもいいから、俺がつくった籃(かご)をほどきながら覚えろ」というものでした。
寄四方八稜編花
修業を始めてから、個展を開くまで18年かかりましたが、その間、親父は作品を売ることを許しませんでした。
一般的には通用するかもしれないが、売ってしまうとそれで自分が満足してしまい、努力もしなくなり成長しないと考えていたからですよ。
ようやくにして、私は家伝の3種類の花籃を修得しましたが、そのなかの鎧組花籃が私の独創の世界を広げてくれました。
この籃には“組む”技法が生かされていたからです。
竹工芸には“編み”と“組”という技法があります。“編み”というのは縦横に竹を編む技法で、“組み”というのは縦の線、
斜線、曲線を生かすために横周りのものをできるだけ省略して要所要所で止め、線の動きの変化やおもしろさを表面に出す技法です。
線をきれいにみせる“編み”の技法では緻密な繊細さを表現するのに用いることもありますが、そのやり方はすでにいくらでもあります。 しかし、竹の直立した線や力強さを独創的に表現するためには“組み”の技法が勝っていると考え、近代的な作品づくりを志すときには、“組み”の技法に力点をおきながら創作してきました。

八稜遊線文花
ある程度仕事ができるようになると、自分の技術で竹を曲げたり広げたりしながら、思い通りにしてやろうと思い、作品ができると、自分の技術で竹を使いこなしたと思ってしまうことが多くなりますが、
次第に竹のいうことも聞いてあげたいという気持ちになってきましたね。
あまり竹に逆らうと、折れたり不自然な形になったりします。同じ竹でも柔らかいものや硬いものなど材質が違いますから、自分の経験だけで使いこなそうと思っても、無理が出てくる場合があるんですよ。
そんなとき、竹と語り合うことが必要になってきます。一方的に自分の技術だけで使いこなしたものは、長いこと見ていると見飽きてしまいます。どこかに無理があって自然の形とは違うからです。
竹の心と人間の心を半分ぐらいにして創ったほうが、後々いいものが残るような気がします。作品には人間の内面が出てきますから、技術だけを過信してはいけませんね。
伝統というのは、技を受け継ぐということだけではありません。いいところは残し、それ以外に自分の考えや発想を盛り込んで新しい伝統として残っていくものです。
今年の11月から2年がかりで、私の工房で伝承者育成研修会を開こう考えています。そこでは、お家芸としての基本的なやり方を教えようと思っていますが、そのなから、竹工芸の伝統を継承発展させる人が出てほしいと思いますね。(聞き手 真島隆)



