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| 錚々たる師匠の稽古を受け、本格の芸、レパートリーの広さ、声量の豊かさなど、だれもが認める実力ナンバーワンの人間国宝・竹本駒之助さん。東京・世田谷の稽古場にお訪ねして、これまで歩んでこられた道、芸のきびしさ、伝統の重みなどについてお話をうかがいました。 | ![]() |

1935年(昭和10)兵庫県に生れる。
大阪にて竹本春駒に入門、竹本駒之助を名乗る。以降、初世豊澤団友、十世豊竹若大夫、八世竹本綱大夫、豊澤仙平、豊竹つばめ大夫(四世竹本越路大夫)、野澤松之輔等に師事。
1953年(昭和28)人形浄瑠璃因協会奨励賞受賞。その後、四世竹本越路大夫の門人となる。社団法人義太夫協会理事。
1980年(昭和55)重要無形文化財「義太夫節」総合指定保持者に認定。義太夫協会副会長。第1回豊澤仙廣賞受賞。第26回モービル音楽賞受賞。
1999年(平成11)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
2002年(平成14)紫綬褒章受章。
義太夫節は、17世紀後半に竹本義太夫によって創始された三味線音楽で、その後、主とし人形芝居の音楽として洗練されていくが、江戸後期から人形芝居とは別に、座敷や寄席などで、純粋な音楽として演奏されるようになった日本の代表的な伝統音楽の一つである。義太夫節浄瑠璃は、太棹を使用する義太夫節三味線の重厚で迫力ある演奏とともに、各場面ごとの情景や雰囲気、さらに登場する様々な人物の言葉や喜怒哀楽の心情を、高度に発達した技法を駆使して表現する。
私が生れた淡路島は、義太夫の発祥の地とも言われているところです。
筵をかけた丸太小屋で人形浄瑠璃が盛んに行なわれ、朝に晩に義太夫節が流れていました。しかし、戦争のため、次第に跡を継ぐ人がいなくなり、
中学校に入った私は、校長先生がつくった義太夫のクラブに入るよう声をかけられたのです。
母も義太夫が大好きで、私を一人前にしたかったのでしょう。その後、私はいろいろな師匠のところに連れていかれましたが、あるとき、女流義太夫の竹本三蝶一座が地元で公演をする際、母は自宅を宿泊所にして招き、私に師匠の前で義太夫を語れと言ったのです。
生れたときからたくさんの義太夫を聞いて、自然に頭のなかに入っていましたから、語ることはできましたが、そのうち、周囲の人たちが、私を天才呼ばわりするようになりましたが、そんなおだてには乗らないという気持ちが強かったですね。
当時は、母親には絶対服従でしたから、言われるままに大阪での公演に出演するため大阪と淡路を往復していましたが、私の知らないところで内弟子の話も進められ、中学三年の夏休みに、卒業式を迎えないまま、大阪の女流義太夫・春駒に入門することになったのです。一五歳のときでしたね。しかし、私は義太夫にまったく魅力を感じていませんでしたから、毎日泣いて過ごした悲しい思い出が残っています。

公演中の竹本さん
内弟子をとった師匠は一人でまったく孤独な人でした。私が家に帰りたいというものですから、少しでも刺激になると思ったのでしょうか、私を文楽の男の師匠のところで稽古をさせることにしましたが、文楽でもこんなに豪快な義太夫を語る方がないと言われた豊竹若大夫は、「お前は女だからわしの芸ではいけない」と、つばめ大夫(後の越路大夫)に稽古を頼んでくれたのです。
それが、私にとって大きな転機になりました。師匠は稽古のなかで、義太夫のおもしろさや仕組みなど、その憲法ともいえる基礎を説いてくださり、「これならやってみたい」という気持ちになったのです。一八歳のときでしたね。
以前は、師匠の前に座って、口移しで覚えていましたが、義太夫の文章はとてもむずかしく、なかなかその意味を理解することができませんでしたから、おもしろくも何ともありませんでしたが、師匠は、「この文章はこういう意味だからこうするんだ。これはかけ文句、盛り上がるところはこうするんだ・・・」というように、その奥深さを説いてくださったのです。
名人と言われていた文楽の男の師匠たちにも教えていただきました。なかなか義太夫の世界に入ってくる人がいませんでしたから、私を呼んでは「わしの芸をよく聞いておけ」と、親身になって稽古をしていただきました。
こうして私は、錚々たる師匠の稽古を受けることができましたから、今の人たちにくらべれば、とても恵まれていたといえますね。

公演中の竹本さん
越路師匠はよく、「総理であれどんなに偉くなる人でも、義太夫はわからない」「義太夫の真髄を究めるには一生では足りない。二生、三生ほしい」とおっしゃっていましたが、ほんとうにそうだと思いますね。
義太夫は、教えてもらったり真似をするのではなく、盗み取ることが大事で、いくら頭がよくても上達するものではありませんね。 やはり、感性と努力がとても大きいと思いますが、義太夫は人生そのもので、いろいろな目に合い、苦労してこなかったら味が出てきません。人の気持ちもわからないようでは、だれも感動しませんからね。
義太夫のむずかしさがわかったら、手も足も出なくなります。おもしろいからと、この世界に入ってくる人もいますが、それはそれとしていいのですが、やはり伝統はしっかり受け継いでもらわないと、大変なものになってしまいます。
私は命を削りながらやってきましたし、失神しそうになったことは何度もありました。今の人たちに、同じようなことをやれといっても無理な話ですが、変なものが残ってしまっては申し訳ありませんから、少しぐらい嫌われても、基本だけはしっかり伝えておかないといけないと思っています。
義太夫とはどんなものかは説明できるものではありません。実際に聞いてもらうことがいちばんですね。



